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ヨハンクライフ

ヨハンクライフとはサッカーチーム・バルセロナFCの監督である。
ヨハンクライフは選手時代にバルセロナ市民から“エル・サルバトーレ(救世主)”と
呼ばれたスーパースターである。
ヨハンクライフは15歳の時にアヤックスと契約し、2年後には一軍にデビュー。
次のシーズンではリーグ得点王(33得点)に輝く。
ヨハンクライフは、その正確なパスとディフェンダーを切り裂くすばやいドリブルなど、
攻めのプレイで、チームに欧州チャンピオンズ・カップ3連勝をもたらす。
1973年にはバルセロナに移り、ここでもスペインリーグ1回、カップリーグ1回の優勝をもたらした。
1975年、欧州最優秀選手の記者投票では3度目の受賞を果たした。
1947年4月25日生まれ オランダ アムステルダム出身

投稿者 kini-naru : 2005年02月17日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (2)

田中達也

田中達也のプロフィール(04年現在)
1982年11月27日生まれ  山口県出身  A型
167cm・63kg         帝京→浦和レッドダイヤモンズ
ポジション FW(フォワード)  利き足 右  背番号 11
田中達也は、小刻みなステップで体を左右に振り、DFとの間合いを詰め、
一気に抜き去るドリブルからのシュートで、ゴールを量産。ペナルティエリア内で
抜群の勝負強さを発揮し、レッズサポーターに歓喜の瞬間を与える選手。
田中達也は帝京高校卒業後、浦和レッズに入団。
2001年の4月29日・鹿島戦でJリーグデビュー。一年目から19試合に出場し、
3得点を挙げる活躍をみせた。
自慢のスピードとドリブルに加え、積極的にシュートを撃つことで、2003年には26試合11得点。
優勝したヤマザキナビスコ杯では4得点の活躍でMVPを受賞した。
2004年田中達也は、アテネオリンピック最終予選でも活躍し、
浦和レッズのサポーターだけではなく、日本中のサポーターから注目される選手になった。 

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

玉田圭司

玉田圭司のプロフィール(04年現在)
1980年4月11日生まれ  千葉県出身  AB型
ポジション FW(フォワード) 173cm・63kg  利き足 左  
習志野高校ー柏レイソル   背番号 28
A代表 15試合 4得点
玉田圭司は、スピードとドリブル突破が売りのFW。
相手スペースへの飛び込みと、味方にスペースを作る動きの両方をこなし、
多くのチャンスに絡むことができる選手。
玉田圭司は、習志野高校卒業後、柏レイソルに入団。
入団してすぐそのスピードを評価され99年3月13日の福岡戦でJリーグデビューを飾る。
その後はあまり出場機会に恵まれなかったが、フィジカル面とスピードを活かすための、
ボールの無いところでの動きの質を上げる練習をし、02年13試合3得点
03年には28試合で11得点(チーム得点王)の活躍で、玉田圭司は、代表にも召集され、
アジアカップの準決勝では2得点を決め、決勝ではダメ押しの3点目を入れる活躍を見せている。
玉田圭司はCMやファッション雑誌にも登場するほど人気の選手。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

鈴木隆行

鈴木隆行とは鹿島アントラーズ所属のサッカー選手のこと。
ポジションはFW。
1994年に鈴木隆行はインターハイに出場しており、同年の秋には国体にも出場し
決勝進出を果たしている。そして翌年の1995年に鈴木隆行
鹿島アントラーズへの入団を決めた。
フィジカルに強く、激しいプレーを得意とする鈴木隆行は数多くのチームを
渡り歩いたため、メンタルの面でも大きく成長している。
また、前線からの強烈なDFへのプレスは鈴木隆行の一つの持ち味として
高く評価されている。
決定力に欠けるという課題を自らに課す鈴木隆行。これからどの様な成長を遂げ、
活躍を見せてくれるのか大いに期待できる。
鈴木隆行>のプロフィール(04年現在)
1976年6月5日生まれ  茨城県出身  O型 182cm・75kg
利き足 左  背番号 30  ポジション FW(フォワード)
日立工業高校→鹿島→CFZ(ブラジル)→鹿島→ジェフ市原→
CFZ→川崎F→鹿島→ゲンク(ベルギー)→ゾルダー→鹿島

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

松井大輔

松井大輔のプロフィール(04年現在)
1981年5月11日生まれ  京都府出身  O型
ポジション OH・FW(オフェンシブハーフ・フォワード) 背番号 22
利き足 右  鹿児島実業→京都パープルサンガ→ルマン
松井大輔は、京都パープルサンガでは、トップ下やスリートップの一角として、
攻撃的なポジションを担当。
高いテクニックとボールキープ力、意表をつくパスやドリブルで、観客を喜ばせるプレーが人気の選手。
密集地でもボールを保ち、そこからパスを前に繋ぐことができるセンスとボディバランスの持ち主。
松井大輔は、00年3月18日のセレッソ大阪戦でJリーグデビュー。
以来J1とJ2を行き来するチームの中心として活躍する。
04年アテネオリンピックに出場。フランスリーグ2部のルマンにレンタル契約で移籍する。
10月15日には先発フル出場し、CKを任されるなどチーム内の松井大輔に対する信頼も厚く、今後の活躍が期待される。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

川口能活

川口能活のプロフィール(04年現在)
1975年8月15日生まれ  静岡県出身  A型
179cm・78kg  ポジション GK(ゴールキーパー)
背番号 30    A代表 66試合出場 
清水商業→横浜マリノス・横浜Fマリノス→ポーツマス(イングランド)→ノアシュラン(デンマーク)  
前への積極的な飛び出しと、熱いハートを前面に押し出したプレーが川口能活の魅力。
日本人最高のGK。当たり日には神懸り的なファインセーブを連発することで、所属チームや
代表の危機を救ってきた。
川口能活は自分にも他人にも厳しいことで有名だったが、欧州に移籍してからは、
プレーに対する自信や安定感が増し、人格も丸くなり、守護神としての風格が出てきた。
川口能活は、小学生の頃に風邪で休んだGK代役でGKとしてプレー。
以来GKとして選手生活を送っている。
中高と数多くの大会で優勝を経験し、94年横浜マリノスに入団。
95年の柏戦でJリーグデビューすると、そのままレギュラーを奪取。
96年のアトランタオリンピックでは、強豪ブラジルの28本ものシュートからゴールを守り、
伊東輝悦のゴールで1-0で破る。マイアミの奇跡の立役者として大活躍。
00年フランスワールドカップ出場。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

石川直宏

石川直宏は、FC東京に所属するサッカー選手。
1981年5月12日  175cm・67kg  B型  愛称・ナオ
ポジション 右SH(サイドハーフ)
石川直宏は、2000年横浜Fマリノスユースから、トップチームに。
鹿島戦でJリーグデビューする。同年のU19アジアユース選手権で準優勝し、
翌年にはU20ワールドユース選手権に出場。
横浜Fマリノスでは、なかなか結果が出なかった石川直宏は、
2002年FC東京へレンタル移籍する。
移籍直後から、石川直宏は攻撃サッカーを目指すチームにフィットし、
その大きなストライドのドリブルで敵を抜き、クロスや中に切り込んでからのシュートなど
数多くの決定機を作る。
2003年には、FC東京に完全移籍しA代表に選ばれ出場する。
オフェンス能力の高さはJリーグでもトップクラスだが、守備に課題を残し、アテネ五輪では
見せ場は訪れなかった。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

阿部勇樹

阿部勇樹は、ジェフ市原に所属するMF(ミッドフィルダー)である。
ポジションは守備的MF。しかし後方のポジションはGK以外すべてこなしたことも。
中盤の底からゲームを組み立て、前線へパスを供給。右足から繰り出されるFK・CKは精度が高く、
世界レベルとの定評。阿部勇樹は右足から放たれる精度の高いフィードや
フリーキックが武器のマルチプレイヤー。
阿部勇樹は「和製ベッカム」の異名がある。
阿部勇樹は市川市立福栄中学校に入学とともに市原ジュニアユースへ。
ユースでの2種登録でのJリーグ初出場は16歳10ヶ月。
1998年8月5日 J1第1S第16節 ガンバ大阪戦でリーグデビューした阿部勇樹
ユース代表に名を連ねるが、予防接種が間に合わなかったりケガをしたりと阿部勇樹
不運も数多い。
Jリーグ通算124試合出場8得点(2003年リーグ終了時点の記録)

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

森崎浩司

森崎浩司のプロフィール(04年現在)
サンフレッチェ広島・背番号7番 1981年5月9日生まれ
広島県出身  175cm・72kg  O型  利き足 左
サンフレッチェ広島ユース→サンフレッチェ広島
双子の弟森崎浩司と兄和幸は、顔や体格で見分けがつかないほど似ていることで有名。
森崎浩司はしっかりとした基礎能力にFW・OH・SH・DHと複数のポジションをこなす戦術理解能力と
精度抜群のシュートを持つ選手。
森崎浩司は2000年7月の横浜M戦でJ1初出場。
03年チームはJ2落ちし、エースの久保が抜けるなど若手中心のチームの中で双子の兄・和幸とともに
チームを引っ張り一年でのJ1復帰を見事に果たした。
J通算80試合23得点、04年もゴールを量産しエースに成長。
04年アテネ五輪アジア予選では左サイドでプレーし予選突破に貢献。五輪代表通算で19試合2得点
の活躍を見せた。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

山田暢久

山田暢久のプロフィール(04年現)
1975年9月10日生まれ  175cm・66kg  A型
山田暢久の代表歴・所属チーム歴 A代表 試合14 得点1
94年・アジアユース 95年・ワールドユース 
稲葉サッカー少年団ー藤枝中学ー藤枝東高校ー浦和レッズ
弱そうで、早くレギュラーになれそうだからと浦和レッズに入団。
山田暢久は浦和レッズに所属した多くの外国人選手達から、もっとも素質のある選手と言われ、
期待されていた。
03年ナビスコ杯を制覇すると、勝ち続けタイトルを取ること、それがどれほどサポーター達を
喜ばせることかを知った山田暢久は、貪欲に勝利を求め、日本最高の右サイドの選手に成長する。
山田暢久は、SB(サイドバック)・SH(サイドハーフ)ともに、高水準でこなし、昔のように、
ただサイドを駆け上がるだけではなく、タイミングを見計らい、メリハリとバランスの取れた攻撃参加で、
チェンスメイクし、自らも積極的にシュートを放つなど、好調浦和の中心としてチームを牽引している。
山瀬選手がケガをした後はトップ下のポジションでも活躍している。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

増嶋竜也

増嶋竜也とは、FC東京に所属するDF(ディフェンダー)
増嶋竜也は、サッカーの名門・市立船橋高校に進学し、そこでFWからDFにポジションを変える。
数々のタイトルを獲得後、J1のFC東京に入団。
1985年4月22日 179cm・68kg B型 千葉県出身
増嶋竜也は、ポジショニング・体の入れ方や寄せ方・指示出しヘディング能力など、
DFとして必要な能力を備え、元FWらしく足元のテクニックもあり、前線へのロングパスも
高い精度を誇る。
増嶋竜也は、U19代表のキャプテンを務め、04年10月に行われたアジアユース選手権に挑み、
ワールドユース選手権の出場権を見事に獲得した。ミスもあったがよく声を出して指示を出し、
若いチームをまとめ上げ、高さ・スピード・カバーリングなど、攻守に渡って素質の高さを示し、
将来を期待させるプレーを見せた。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

増田誓志

増田誓志はJリーグの鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。
ポジションはMF、背番号26をつけ活躍中。
増田誓志は小学1年生の頃から地元の少年サッカーチームに所属し高校時代には、
インターハイにも出場しベスト8という成績を残している。更には国体や全日本ユースにも
出場を果たしている。
鹿島アントラーズでは得点に絡んだり増田誓志本人もゴールを決めるなど
チームに大きく貢献している。2003年にはU-18、04年にはU-19の日本代表に選ばれている。
増田誓志ファンには女性が圧倒的に多く人気、実力共に高い注目の選手となっている。
1985年6月19日生まれ  宮崎県出身  B型 利き足 右
178cm・72kg  鵬翔高校→鹿島アントラーズ

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

永井雄一郎

永井雄一郎のプロフィール(04年現在)
生年月日 1979年2月14日  出身地 東京都新宿 184cm 75kg ポジション FW(フォワード)
過去に所属したチーム 三菱養和→浦和レッズ→カールスルーエ(留学)→浦和レッズ
代表歴  94年アジアユース 97・99年ワールドユースに出場。99年のワールドユース大会では準優勝に輝く。A代表 4試合出場 1ゴール  
永井雄一郎は、スピードに乗った時のボールコントロールがうまく、人を抜くのが非常に上手な選手。長身ではあるが、ハイボールの競り合いやポストプレーなどは、あまり上手ではない。永井雄一郎は97年浦和レッズに入団し、初年度からコンスタントに出場を続ける。98年ドイツのカールスルーエに留学し、テクニックと得点感覚に磨きをかける。2000年、J2に降格したチームを29試合12得点の活躍で、J1昇格に導く。03年ナビスコ杯制覇。エメルソン・田中達也と供に、Jリーグ屈指の攻撃陣を牽引する。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

中田浩二

中田浩二のプロフィール(04年現在) 1979年7月9日うまれ  滋賀県出身  B型 182cm・74kg
利き足 左  背番号 5 ポジション DH・CB(ディフェンシブハーフ・センターバック)
帝京高校→鹿島アントラーズ  A代表 43試合 2得点
中田浩二は基本的は能力が高く、ハイボールの競り合いに強く、ポジショニングに優れ、敵ゴール前への飛び込みや自陣でのカバーリングなども上手な万能DH選手。中田浩二は、1998年に鹿島アントラーズに入団し、4月4日の京都パープルサンガ戦でJリーグデビューする。2年目には17試合・4得点と得点能力の高さをアピール。2000年以降は、柳沢・小笠原らと供にチームの中心として活躍。トルシエ監督のフラット3の左CBとしてA代表のレギュラーとして、日韓ワールドカップで、ベスト16になる。03年8月30日の試合で「左膝前十字靭帯断裂」「左膝外側半月板損傷」の重症を負い戦線を離れていた。中田浩二は04年5月16日の柏戦で259日ぶりにピッチに復帰。ケガ前と変わらないプレーでファンを安心させた。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

中村俊輔

中村俊輔は、イタリア・セリエAのレッジーナに所属のサッカー選手。ポジションはOH(オフェンシブハーフ) 
中村俊輔は、日産FCジュニアチーム(マリノスの前身)に所属していたが、線の細さなどを理由にユースに上がることができず、桐光学園に進学する。桐光学園で体と技を鍛えた中村俊輔は、卒業後晴れて、横浜マリノスに背番号25で入団。その期待の高さが伺われた。(ミスターマリノス・木村和司も最初は25番のちに10番)
横浜Fマリノスで、司令塔として活躍し3年後には背番号10にU20やシドニーオリンピックの代表にも選ばれ、巧みなボールタッチから生まれる、ドリブルや正確な長短のパス精度の高いシュートそして左足が描く美しいFKで、中村俊輔はファンタジスタと呼ばれるようになる。
2002年世界トップクラスのセリエAのチームレッジーナに移籍。
ラストパスを出すだけではなく、自らもペナルティエリアに飛び込みシュートするなど、トップ下の選手として中村俊輔は成長している。

投稿者 kini-naru : 2005年02月06日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (2)

宮本恒靖

宮本恒靖のプロフィール(04年現在) 1977年2月7日生まれ  176cm・72kg  A型 大阪府出身  同志社大学経済学部卒業
宮本恒靖の歴代所属チームと代表歴 伏山台FCー金剛中学ーガンバ大阪ユースーガンバ大阪 93年・U17世界選手権 97年・ワールドユース選手権 00年・シドニーオリンピック 02年・ワールドカップ  A代表 29試合 1得点
宮本恒靖は、17歳で代表に選ばれてから、各年代で守備の中心として活躍してきた、人気選手。日本代表・ガンバ大阪で、キャプテンとしてチームをまとめる。高い集中力とするどい読みで、ディフェンスラインをコントロールし、数々の危機を救ってきた、頼れるキャプテン。代表戦では、試合中に集中力が切れることはないが、所属のガンバ大阪では、たまにイージーなミスをすることがある。宮本恒靖は、ワールドカップでフェイスガードをつけて出場し、バットマンと呼ばれたことでも有名。

投稿者 kini-naru : 2005年02月06日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (0)

稲本潤一

稲本潤一のプロフィール(04年現在)
1979年9月18日生まれ  181cm・75kg  O型
鹿児島生まれ、生後まもなく大阪に。
稲本潤一の所属チーム歴
ガンバ大阪ジュニアユース-ガンバ大阪ユース-ガンバ大阪-アーセナル-フルアム-
ウエスト・ブロムウィッチ・アルビオン
稲本潤一
の主な代表歴と個人タイトル・記録
93年・U15ダラスカップ    94年・U16アジア選手権    95年・U17世界選手権    
98年・U19アジアユース   98年・アジア大会        99年・U20ワールドユース
00年・シドニーオリンピック  02年・2004ワールドカップA代表 50試合 4得点  
2000年 Jリーグベストイレブン
97年当時のJリーグ最年少出場・得点 17歳6ヶ月・7ヶ月
稲本潤一は、各年代の代表に呼ばれ、試合で活躍し続け、17歳の若さでJリーグにデビューし、
荒削りながら前後の動きに強いDHF(デフェンシブハーフ)として、インターセプトからの早い攻め上がり
などを武器に、オリンピックやワールドカップ、プレミアリーグと活躍の場を広げていった。

投稿者 kini-naru : 2005年02月03日 | サッカー | コメント (0) | トラックバック (1)

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