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城島健司

城島健司は日本球界を代表する名捕手である。
城島健司は別府大付属高校出身。1995年にドラフト1位で指名を受け福岡ダイエーホークスに
入団し、福岡ドームで公式戦初出場を果たす。
城島健司はベストナインやゴールデングラブを数多く受賞し、また、打席での存在感も大きい。
アテネオリンピックではバッター4番を任されるなど、オリンピック日本代表としての彼の活躍を大いに
期待したい。
1976年6月8日生まれ 長崎県出身 A型 182cm 90kg

投稿者 kini-naru : 2005年02月16日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (5)

金本知憲

金本知憲とは、阪神タイガースの頼れるチームリーダー。
金本知憲は、広島で11年プレーし、3割30本30盗塁を記録。
FAで阪神に移籍、03年阪神を優勝に導く活躍を見せた。チャンスに強いバッティングでチームの
勝利に貢献。怪我に強い体で、骨折でなければ怪我とは思っていない。金本知憲は、2004年に
700試合連続フル出場のプロタイ記録を達成する。身長180cm、体重85kg。生年月日 1968年
4月 3日生、出身地は広島県。出身校は広陵高校―東北福祉大学。趣味は、プロレス観戦、
ウェイトトレーニング。獲得タイトル・年度…(ベストナイン)95年、00年、01年、04年・
(打点王 )04年

投稿者 kini-naru : 2005年02月15日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

松中信彦

松中信彦とは福岡ダイエーホークス所属のプロ野球選手。
ポジションはファースト、たまに外野手もこなす。
松中信彦は1996年にドラフト2位で指名されダイエーに入団。
アトランタオリンピックでは打率.333 本塁打5 打点16と
打点と本塁打ではチームトップの活躍をする。
2000年、松中信彦はチーム内での三冠王を達成、MVPに選ばれた。
2004年には18年振り7人目の三冠王を獲得した。
また、松中信彦はダイエーの選手会長も務めている。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

松井稼頭央

松井稼頭央(かずお)のプロフィール
1975年10月23日生まれ 大阪府出身
177センチ、83キロ 右投げ、両打ち O型
所属:西武ライオンズ→ニューヨーク・メッツ
大阪・PL学園高ではエースとして甲子園で活躍。
松井稼頭央は1994年にドラフト3位で西武ライオンズに入団。
プロ入り後は俊足・強肩を生かして内野手に転向した。2年目からは1軍出場を果たすと、
69試合で21盗塁を記録し、俊足ぶりを発揮。翌年からは、全試合に出場し、打率.283、
リーグ2位の50盗塁をマークし、松井稼頭央はショートのポジションを不動のものとした。
97年には62盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。1試合4盗塁の新記録を達成するなど、
「快足・松井」の名を全国に知らしめた。
02年、松井稼頭央はプロ野球史上8人目、スイッチヒッターでは初となる
「打率3割・30本塁打・30盗塁」を達成。さらに年間長打の日本記録を52年ぶりに塗り替えた。
04年にFA宣言をして、ニューヨーク・メッツへの入団した。
◆2004年シーズンの成績◆ (04.10.04)
試合数 打数 安打 本塁打 打点 打率 盗塁
114   460  125  7    44  .272  14

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

桑田真澄

桑田真澄とは読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手。
ポジションはピッチャー。
桑田真澄は元はPL学園のエースで当時チームメイトだった清原和博と共に
「KKコンビ」と呼ばれる。
桑田真澄は1985年にドラフト一位で巨人に入団。
翌年には最優秀防御率のタイトルを獲得する。
1994年には桑田真澄は最多奪三振王、MVPを獲得するが1995年に怪我で戦線を離脱。
1997年には復帰し、それ以降調子が上がらなかったが
2002年に最優秀防御率のタイトルを獲得し、復活する。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (3)

川上憲伸

川上憲伸とは中日ドラゴンズ所属のプロ野球選手。
ポジションはピッチャー。
川上憲伸は高校は徳島商業で3年の夏に甲子園に出場、大学は明治大学で、
高橋由伸と好勝負を繰り広げたエースだった。
川上憲伸は1997年に逆指名で中日に入団。一年目に14勝6敗の成績で新人王となる。
川上憲伸は2002年にはノーヒットノーランを達成。
2003年川上憲伸は肩を故障してしまい、シーズンの大半には出られなかったが
2004年には最多勝のタイトルを獲得、沢村賞も受賞した。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

金田正一

金田正一のプロフィール
1933年8月1日生まれ 愛知県出身
左投左打 投手 背番号34(永久欠番)
所属:国鉄スワローズ→読売巨人
生涯成績:400勝(歴代1位)298敗・奪三振4490(歴代1位)
       防御率2.34 完投365(歴代1位)
金田正一はデビューの年は8勝とふるわなかったが、翌年22勝をあげ
エース街道を突っ走った。投手のタイトルのほとんどを獲得しほとんどの記録を更新した。
長身を活かしての大上段からの速球と大きく縦に割れるカーブで三振の山を築く。
金田正一は0対1での完投負け21試合。当時は点は取れない、守ればエラーの
弱小国鉄にあって勝つために金田正一は一つでも多くの三振を取ることを心掛けた。
金田正一は14年連続20勝という大記録を達成したが、
弱小球団だった国鉄で達成したところがさらに評価を高めている。
13年目に大リーグの奪三振記録、W.ジョンソンの3508を破る。
デビューの長嶋を4打席連続三振にしたのはあまりにも有名。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

原辰徳

原辰徳とは読売ジャイアンツ所属の元プロ野球選手。
ポジションはサード。
原辰徳は1980年にドラフト1位で指名され巨人に入団。
一年目から打率.268、22本塁打、67打点の成績で新人王となる。
1983年には原辰徳は打点王、MVPも獲得。
その後も10年に渡って巨人の4番打者として活躍するが1995年に引退する。
原辰徳は2001年から巨人の監督となり、同年、巨人を日本一に導くが2003年に退任する。
原辰徳は現在、野球解説者を務めている。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

古田敦也

古田敦也とはヤクルトスワローズ所属の野球選手。
ポジションはキャッチャー。
古田敦也は1990年にドラフト2位指名でヤクルトに入団。
1991年には首位打者を獲得する。
古田敦也は五割を超える盗塁阻止率と、頭脳的なリード、
コンスタントに3割を超えるバッティングを持つ。現プロ野球界トップクラスの捕手である。
古田敦也は日本プロ野球選手会の選手会長でもあり、2004年の球界再編時には
先頭に立って球団側と交渉、プロ野球界初のストライキを行った。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (1)

福留孝介

福留孝介とは中日ドラゴンズ所属のプロ野球選手。
ポジションは外野手。
福留孝介は1995年にドラフトで7球団が指名一位で近鉄が交渉権を獲得するが辞退、
日本生命に入る。日本生命ではアトランタオリンピック代表選手として活躍した。
1998年福留孝介は中日ドラゴンズを逆指名し、入団。
一年目からスタメンで活躍し、チーム優勝に貢献する。
当時は福留孝介はショートだったが2002年から外野手にコンバート、
首位打者となった。2004年にはアテネオリンピック代表となった。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

ボンズ

ボンズの本名はバリー・ボンズである。
ボンズのプロフィール。
1964年7月24日生まれ 米カルフォルニア出身
身長/体重 188cm/104kg
左投左打 外野手 背番号25
所属:ピッツバーグ・パイレーツ→サンフランシスコ・ジャイアンツ
ボンズはメジャーのシーズン本塁打記録を塗り替えた史上最強打者。
ゴールドグラブ賞も8度受賞しており、攻走守3拍子そろった選手だ。
ボンズは父親のボビー・ボンズも元メジャーリーガーで、いとこがレジー・ジャクソンという
野球一家に育った。
2000年に自己最高の49本塁打を記録したボンズは、翌01年に37歳にして大記録を打ち立てる。
開幕から驚異的なペースで本塁打を量産し、迎えた10月5日、マーク・マグワイア持っていた
最多本塁打記録(70本)を更新。その後、73本まで記録を伸ばした。
02年\ボンズは打率.370で首位打者。さらに01から03年まで3年連続MVPを獲得。
今季で40歳となるボンズだが、まだまだ衰えは見せない。

投稿者 kini-naru : 2005年02月09日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

高橋由伸

高橋由伸とは読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手。
ポジションは外野手。
高橋由伸は大学時代、23本塁打を放ち東京六大学の本塁打記録一位となる。
1997年に逆指名で巨人に入団。
同年高橋由伸は新人外野手としては初のゴールデンクラブ賞を受賞する。
この後6年に渡ってゴールデンクラブ賞を受賞し続けている。
2004年に高橋由伸は1000本安打を達成する。
また高橋由伸は巨人の選手会長を務めている。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

イスンヨプ

イスンヨプとは正しくは李承燁(イ・スンヨプ)である。
イスンヨプのプロフィール(04年現在)
1976年8月18日生まれ 韓国 大邱出身
身長/体重 183cm/93kg B型
左投左打 一塁手 背番号36
所属:慶北高→三星ライオンズ→千葉ロッテマリーンズ
イスンヨプの慶北高時代はエースで4番として活躍。1995年に三星ライオンズに投手として入団。
ところが、イスンヨプは高校時代からの左肘の怪我が元で投手から一塁手転向。
その後は1997年・1999年・2002年・2003年に4度の本塁打・打点の二冠、5度のMVPを獲得した他、
イスンヨプは韓国球界の打撃記録を塗り替えてきた。
地元、韓国では「ライオンキング」と呼称される国民的打者。
イスンヨプは2003年には最年少記録の26歳10ヶ月で300本塁打を達成し、
同年10月2日には王貞治の記録(55本)を破るシーズン最多56本塁打のアジア記録を樹立した。
しかし、イスンヨプの日本プロ野球1年目の成績は、打率.240、14本塁打、50打点と苦しんだ。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

石井弘寿

石井弘寿のプロフィール(04年現在)
1977年9月14日生まれ 千葉県出身
身長/体重 180cm/80kg A型
左投左打 投手 背番号61
所属:東京学館高校→ヤクルトスワローズ
石井弘寿はヤクルトスワローズにドラフト4位で入団。
今では石井弘は球界屈指の左のセットアッパーである。
150キロ前後の平均的に出す速球派の左腕ピッチャーである。
石井弘寿は同じチームの五十嵐亮太投手と共に「ロケットボーイズ」と呼ばれることもある。
02年には金田正一投手を超える球団史上最多の69試合に登板。
防御率1.51の好成績を収めて最優秀中継ぎ投手に選ばれる。
石井弘寿はアテネ五輪に日本代表として招集された事もあり、セットアッパーとして活躍した。
自称「ヤクルトのブラット・ピット」で石井弘寿と五十嵐亮太はビジュアル面を争っているらしい。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

井川慶

井川慶のプロフィール(04年現在)
1979年7月13日生まれ 茨城県出身
身長186cm 体重90kg O型
左投左打 投手 背番号29
所属:水戸商業高校→阪神タイガース
井川慶は水戸商から97年ドラフト2位で阪神タイガースに入団。
3年間の育成を経て、01年には規定投球回に到達した。
井川慶の01年の成績は9勝13敗と負け越しではあるが、防御率で2.67と好成績を残した。
02年には開幕の読売ジャイアンツ戦で完投勝利を達成し、
タイガースの開幕戦の連敗を11で止めるなど、エースとして井川慶の存在感をアピールした。
02年では14勝9敗と勝ち越している。
03年には12連勝を含む20勝を挙げ最多勝・最優秀防御率のタイトルを獲得し、
チームの優勝に貢献した。また井川慶は04年の10月4日にはノーヒットノーランを達成した。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (2)

星野仙一

星野仙一とは中日ドラゴンズ所属の元プロ野球選手にして元野球監督。
星野仙一は1969年にドラフト一位で指名され、中日に入団。
中日のエースとして星野仙一は活躍し、1974年に最多セーブのタイトルを獲得し沢村賞を受賞。
巨人のV10を阻む立役者となった。さらに、1975年には最高勝率のタイトルを獲得する。
1982年に現役引退。
その後星野仙一は1987年から中日の監督を務め1988年にはリーグ優勝を成し遂げる。
その後1991年に引退するが1996年に復帰、2001年まで監督を務める。
さらに2002年から2003年までは阪神の監督を務める。

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

清原和博

清原和博とは読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手。ポジションは内野手
清原和博はPL高校時代桑田真澄と共に「KKコンビ」と呼ばれた名バッターだった
1985年のドラフト会議で、巨人を志望したが西武ライオンズに一位指名、西武に入団する
その後清原和博は西武のリーグ優勝
日本一に数多く貢献し1996年にフリーエージェント宣言
巨人へと移籍する
だが、移籍以降は怪我が多くあまり目立った活躍は出来ていない
清原和博はオールスターに強く、歴代1位の打率.379、歴代3位の12本塁打の記録を持っている

投稿者 kini-naru : 2005年02月07日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (0)

松坂大輔

松坂大輔とは西武ライオンズ所属の野球選手
ポジションはピッチャーで背番号は18番
松坂大輔は横浜高校時代に全国高等学校野球選手権大会決勝戦でノーヒットノーランを達成
西武にドラフト一位で指名され入団、開幕投手として出場し勝利する
松坂大輔は入団一年目にして16勝5敗の成績を出し、新人としては45年ぶりに最多勝投手となる
また、松坂大輔はベストナイン、ゴールデングラブ、最優秀防御率、最多勝、最多奪三振など様々なタイトルを獲得し2001年には沢村賞投手となる
まさに西武のエースといえる存在である

投稿者 kini-naru : 2005年02月06日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (7)

新庄剛志

新庄剛志のプロフィール(04年現在) 1972年1月28日生まれ 福岡県出身 身長181cm 体重76kg A型 右投右打 外野手 背番号1 所属:西日本短大付高→阪神タイガース→ニューヨーク・メッツ→サンフランシスコ・ジャイアンツ→ニューヨーク・メッツ→北海道日本ハムファイターズ
新庄剛志は89年、ドラフト5位で阪神タイガースに入団する。93年にベストナインを獲得。続、96年から00年まで5年連続の計7回受賞した。00年、新庄剛志は開幕から4番に座り、自己最高成績(打率.278、28本塁打、85打点)を残す。00年12月、元タレントの大河内志保さんと結婚した。新庄剛志は01年、FA権を行使してニューヨーク・メッツ入団。外野手としてレギュラーに定着し、日本人初の4番も任されたが、サンフランシスコ・ジャイアンツに電撃移籍。その後、02年に自由契約となり翌年、新庄剛志はニューヨーク・メッツに復帰。04年には日本に戻り、新庄剛志ならではのパフォーマンスでチームやファンを湧かせている。

投稿者 kini-naru : 2005年02月06日 | 野球 | コメント (0) | トラックバック (3)

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